1995年1月17日(火) 5時46分52秒
言わずと知れた阪神・淡路大震災の起こった日、時間です。
今から30年前なのです。
早朝5時46分という時間で、
今は亡き父親は、会社への通勤のためにJR草津線の始発電車に乗るために甲西駅のホームに立っている際に大きな縦揺れを受けたと話していました。
当時大学院生だった私は、修士論文の最後の追い込み中で、
前夜は徹夜に近い状態で修論発表の資料を作っていました。
それゆえ、早朝の5時46分という時間は少し前に寝床に入ったところで、
ベッドを突き上げる様な強烈な振動を受けたのを昨日のことの様に覚えています。
それでも、睡魔には勝てず、そのまま2度寝となり、
昼前に起きた際は朝方の記憶もおぼろになっており、
大学で震災の様子を放送するテレビを見て、
あの朝の衝撃はこれだったのかと合点がいったことを覚えております。
そして、そして、この1995年4月に永久就職となり、
いきなり鹿児島に飛ばされて今に至っているのです。
鹿児島への移動は、伊丹空港からの飛行機でしたが、
幸いにも伊丹空港は4月の段階で問題なく復旧されていました。
1995年3月20日
実は、阪神・淡路大震災だけではないのです。
1995年の悪夢は。
阪神・淡路大震災の後、
私が鹿児島に飛ばされるまでの間に
もう1つ、日本を震撼させる大事件があったのです。
そうなのです。
あの地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)です。
東京の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)の営業運転中の地下鉄車両内において、宗教団体のオウム真理教の信者らにより神経ガスのサリンが散布され、乗客及び職員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。1995年当時としては、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を利用した無差別テロ事件であった。
会社入社年に、こんな大事件が2つの起こっているのです。
そんな事件から30年なので、
私の社会人生活も30年となるのです。
確か会社から30年勤続のお祝いが頂けるはずなので、少し楽しみです。
激動の1995年から、なんとか30年間、サラリーマンを勤めてきた「いのとも」に対して
自分を褒めてやりたいと勝手に思っております。