徳田虎雄さんが2024年7月10日にご逝去されました
鹿児島には馴染み深い徳田虎雄さんがご逝去されました。
近年はALSを発症され、病床におられることを知っていましたが、最期となりました。
86歳でした。
以下、wikiより抜粋 https://ja.wikipedia.org/wiki/徳田虎雄
徳田 虎雄(とくだ とらお、1938年〈昭和13年〉2月17日– 2024年〈令和6年〉7月10日)は、日本の医師、政治家。鹿児島県徳之島町名誉町民。鹿児島県天城町名誉町民。
医療法人徳洲会理事長、衆議院議員(4期)、沖縄開発政務次官、第7代日本体操協会会長、自由連合代表、特定医療法人沖縄徳洲会理事長、社会医療法人木下会理事長、医療法人静仁会理事長、埼玉医療生活協同組合理事長、札幌医療生活協同組合理事長、公益財団法人徳洲会国際奨学財団理事長、などを務めた。
大規模な医療事業グループを築き、衆議院議員として政治に関わった。2002年頃に筋萎縮性側索硬化症 (ALS) を発症して政界から引退したが、病床から徳洲会グループ全般へ指示を続けた。
そして、2024年7月21日には、徳之島で「お別れ会」があったとの報道が
NHKニュースや下記の新聞などで報じられました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240721/k10014518391000.html
その中で驚いたのは、7月10日に逝去されて、7月21日に鹿児島の徳之島でお別れ会をされているのですが、
普通のごく一般人の場合は、遺骨をもって、11日後のお別れ会をされると思うのですが、
なんと徳田寅雄さんの場合は、「ひつぎ」なのです。
つまり、鹿児島の徳之島の皆さんにも徳田虎雄さんの最期のお別れをしてもらうために、
最期のお顔を見てもらうために、
7月の暑い中、ドライアイスで11日間遺体を冷やし続けて、お別れ会を開いているのです。
この新聞記事を見て、やはり徳之島の方々にとっては、「神さま、仏さま、徳田虎雄さま」だったのだと思う次第です。
鹿児島の離島にも多くの徳洲会病院がありました!
鹿児島に住む関西人は、奄美大島を含めて、鹿児島のあちこちの離島に行っておりますが、
その離島の多くには、びっくりするほど大きな徳洲会病院があるのです!!
ほんの一部ですが、ご紹介です。
まずは、お別れ会も開かれた出身地の徳之島ですが、亀津港近くに徳之島徳洲会病院があります。
私が徳之島を訪れた2021年3月20日の亀津港での写真にも
その後方に徳洲会病院が写っています。
喜界島も同じです。
小さな小さな喜界島にも
立派な徳洲会病院があるのです。
喜界島に5階建ての建物があり、夜だったのですが、
これは何かと写真と撮っていたようなのですが、これが徳洲会病院でした。
与論島でも、しっかり写真撮影していました。
離島に似合わない大きな建物。
それが徳洲会病院なのです。
与論島を1周する路線バスで、やはりそのコースの中に与論徳洲会病院が入っているのです。
離島の皆さんにとっては、本当に「神さま、仏さま、徳田虎雄さま」だったのだと
改めて思うのでした。
徳田虎雄さんに、合掌。