加計呂麻島のもう1つのフェリー港、生間港へ
朝7時の1便で、奄美大島の古仁屋港から加計呂麻島の瀬相港に上陸しましたが、瀬相港からバイクで、もう1つのフェリー着岸港の生間港へやってきました。
少し復習になりますが、下記の時刻表の様に、奇数便は古仁屋港から瀬相港に着岸し、古仁屋港に戻ります。
そして偶数便は、古仁屋港から生間港に着岸し、古仁屋港に戻るというサイクルです。
瀬相港からバイクで生間港まで来たところ、ちょうど8時30分着の2便が到着するところでした。
生間港には、フェリー入港を待って、加計呂麻の周辺集落を目的地とする路線バスの加計呂麻バスが待機しています。
大きな島であるために、路線バスを利用する人も多いのかも知れません。
この生間港は、2021年4月30日のNHKドキュメント72時間で、古仁屋との海上タクシーについて放送されていました。
その放送の中で、最年長のでいご丸船長の様子も紹介されていました。
そのでいご丸が停泊していましたよ!
ドキュメント72時間を見ていたので、でいご丸を見れて嬉しいきもちでいっぱいでした。
また、生間港の岸壁を見ていると、コンクリートの壁面にサンゴが形成されていました。
テーブル珊瑚みたいな感じです。
チョウチョウウオも見えます。
自然が満載です。
左の方を拡大すると、珊瑚の様子と、熱帯魚の姿が分かると思います。
また、普通のアジ系と思われる魚も港内にたくさん泳いでおり、見ていて飽きない状態でした。
生間港を離れ、加計呂麻島の東側の安脚場方面に向かいます。
生間集落から停泊するフェリーかけろまを見ると、この船がかけろ真島の生活を支えている貴重な町営船であることを認識します。
いつまでも、フェリーかけろまが、奄美大島と加計呂麻島を往復することを切にお祈り申し上げます。
正直なところ、大赤字だと思いますが、、、
先日の新聞報道で、桜島フェリーもコロナ禍で客38%減と記載されていました。
渡連集落に来ると、巨大木がありました。
バイクと比較すると、その巨大さが分かりると思います。
加計呂麻島の最東端は太平洋戦争の爪痕がたくさん残っています。
加計呂麻島の最東端周辺は、太平洋戦争の爪痕がたくさん残っています。
待網崎農村公園には、いくつかの砲台跡があります。
大島海峡に入り込む敵を大砲で攻撃するためです。
下記が第一砲台跡です。
第一砲台跡からは、大島海峡を広く望むことが出来ます。
目の前には、ヤドリ浜と隣接するリゾートホテルも見えます。
待網崎農村公園から、さらに東に進むと、安脚場戦跡公園があります。
ここもかなり広い公園です。
まずは、離島で重要視される飲水の確保ですが、雨水を溜める天水貯水池がありました。
将兵の飲料水として確保するためです。
その池は、現在はカエルの子がたくさん泳いでいました。
また戦争当時の建物もいくつか残っています。
戦後76年経っても、多くの建物が残っています。
敵軍が大島海峡に入ってきたら、攻撃できるように陣取られているため、眺望が抜群です。
安脚場から諸鈍に抜ける山道で、、、
安脚場から、加計呂麻島の周回をすべく、諸鈍に向かう道路を走っていると、崖崩れで道路が封鎖されていました。
いつ崖崩れが起こったのか分かりませんが、主要道路でないところは、手が回らないということなのでしょうか?
完全に通行止めです。
仕方ないため、来た道を戻り、生間港経由で諸鈍に向かうことにしました。
先が思いやられます。
つづく。