沖永良部島での宿泊は47HOSTEL(ヨンナナホステル)
2021年3月に沖永良部島に来ており、2回目の上陸となります。
おおよその島の状況を理解しており、今回はお安い宿に泊まろうと、ネットで調べた47HOSTELさんにお邪魔することにしました。
開店時間の15時を待って電話です。
宿の中からではなく、どっか遠くから若い女将さんがやってきて、宿泊について説明がありました。
先払いの宿代は2500円。
かごしま旅クーポンで支払いです。
このクーポンは鹿児島県が発行しているクーポンで、奄美群島で使える5000円のクーポンはなんと1500円で購入できるという魔法のクーポンなのです。
それゆえ、今回の宿代2500円は実質750円しか払っていないということになるのです。。。
クーポンは6000円で、2万円分を購入しておりましたので、残り17,500円となります。
宿のエントランスは、そのまま朝食をいただくカウンターになっています。
若い女将は大変忙しい様で、旅クーポンの2,500円の支払いを終えると、またどこかへ急いで行かれました。
何か別の商売を掛け持ちでやられている様な雰囲気でした。
別れる前に、レンタルされている自転車を貸して下さいとお願いすると、今回は特別にお代(1,000円)はいいので、どうぞ乗って下さいとカギを渡してくれました。
レンタル料金を受け取るよりも大事な仕事を兼務されているものと勝手に推測しました。
天気もいいので、借りた自転車で越山を目指します。
越山は日本のしま山100選にも選ばれている山なのです。
上記のしま山100選のガイドブックにはゆるやかな山容で気軽に登れると書かれていますが、自転車ではそれなりに大変でした。
ほぼママチャリの自転車で越山山頂を目指します。
約1時間で、越山山頂です。
まず景色として、となりの徳之島が大きく見えました。
また、沖永良部島空港の方向を見た写真が下記となります。
やはり緑の多い島であることが分かります。
山頂には沢山のモニュメントがあります。
山頂の全容をまずご紹介です。
とんがった貝のモニュメントは、下記となります。
よく見ると、その貝には蝉の幼虫がへばりついている様です。
また、下にはペーターみたいな男の子と、ユキちゃんみたいな小ヤギがいました。
また越山の位置を示すレリーフもあります。
越山は和泊町にある標高188mの山であることが分かります。
3月に沖永良部島に来た際は、大山に行って来ました。
大山はほとんど自衛隊の駐屯地の様相でした。
下記のブログにも記載しております。
元に戻って越山についてですが、三角点もあります。
コンクリートで守られています。
さらに太平洋戦争の苦い経験に対して、記念とする石碑がいくつかあります。
特に日本復帰記念碑には驚きを覚えます。
終戦後、ここは一旦アメリカ領地になっているということなのです。
さらに、奄美群島が復帰する直前では、奄美大島と徳之島の2島は日本復帰となるものの、沖永良部島と与論島はアメリカ統治が続くという分断の危機があったことが記念碑にも記載されています。
沖永良部島と与論島の住民が4島は1つであると声を上げられて、最終的に4島の一括復帰となった様です。
越山の帰りにフーチャに寄りました。
夕方手前です。
ここの海岸には穴が開いており、時化た際にはものすごい水しぶきが舞う様です。
この時は全く潮が噴くような感じではなかったです。
残念。
47HOSTELに帰った頃には真っ暗になっていました!
素泊まりの47HOSTELに帰ってきて、晩メシを頂くべく隣のお店に。。。
その名は「ささがわ」さんです。
この日は大将が一人おられるだけでナカナカ十分な対応ができないと言われましたが、とにかく何か食べれればいいと半ば強引に晩飯を出して頂きました。
まずは突出し。
そして、タンの焼き物。
もちろん、生ビールはガンガン頂きます。
最後に、ご飯ものをリクエスト。
つぶ貝を使った丼が出てきました。
どれも美味しく頂きました。
お会計はいくらでしょうか?
生ビール2杯を含めて、ハウマッチ??
それなりにしっかりと料金は取られてしまいました。。。
それでも飛び込みで、訪れた沖永良部島でしたが、屋根のあるお宿に泊まれて、食事が取れて、生ビールが呑めてと満足いく1日となりました。
おやすみなさい。
つづく。