ネパールのイエティ航空の飛行機が墜落。。。
1月15日付のLINE NEWSを下記に貼り付けていますが、ネパールで航空機が墜落し搭乗者が全員死亡したとのニュースが飛び込んで来ました。
加えて、その墜落機に搭乗されていたインド人がFaceBookで着陸前の様子をライブ配信されており、その動画がTwitterなどに公開されているのです。
恐ろしい映像なので、リンクを貼り付けることはしませんが、今までに墜落する飛行機に搭乗されていた人が撮影した動画というのはなかったと思いますので、恐ろしい限りです。
ましてや、機内では携帯電話は電波の発しない機内モードにするか、電源を切る事が求められる中で、ネットに繋いでライブ配信されていたので、その電波が影響して飛行機の計器に異常が発生して墜落に至ったということでは本当にシャレにならない事態だと思います。
私自身、飛行機に頻繁に乗る方で、もちろん機内モードにはしていますが、動画撮影などをすることもあるので、その中で飛行機が墜落するような場面にはとにかく遭遇したくないと思っております。
また、航空会社はそのフライトに対して安全度格付けがされているのですが、2018年の安全度格付けのデータがスゴイのです。
安全度格付けの最低ランクが星1つになるのですが、2018年度は6社が星1つで、下表の航空会社となります。
ちなみに、日本のANAとJALは星7つです。
安全度 格付け | 航空会社名 | 英語表記 | 国 | 備考 |
☆ | タラ・エア | Tara Air | ネパール | 親会社はイエティ航空 |
☆ | ネパール航空 | Nepal Airlines | ネパール | ネパール唯一の国営航空会社 |
☆ | ブルーウィング | Blue Wing | スリナム | |
☆ | イエティ航空 | Yeti Airlines | ネパール | 子会社としてタラ・エアを設立 |
☆ | トリガナ航空 | Trigana Air | インドネシア | |
☆ | 高麗航空 | Air Koryo | 北朝鮮 | 国有企業で唯一の航空会社 |
上記の安全度格付け星1つの6社のうち半分の3社がネパールという事実で、そのうちの1つのイエティ航空で今回の墜落が起こっているという事実があります。
1989年の夏にネパール航空の飛行機に搭乗しました!
1989年、大学1年生の夏にネパールトレッキングに行きました。
高校時代の友人に誘われるままに喜んで行ったことを覚えております。
その際の記録を下記のアルバムに残していました。
1989年は実は平成元年。
7月25日に青春18きっぷを使って、成田空港まで移動です。
完全な貧乏旅行ですが、それはそれで良き思い出です。
ネパールまでの経路は、成田 → タイ・バンコク → ネパール・カトマンズで、
タイ・バンコクまでのフライトは、IRAQI AIRWAYS つまりイラク航空です。
下記の搭乗券を見ると、この頃はまだ喫煙席があったようで、25Cは喫煙席となっています。
今や考えられません。
到着した初めての海外、タイ・バンコクの様子を示す1枚の写真がありました。
今から34年前のバンコクの様子です。↓↓
タイ・バンコクからネパール・カトマンズは、安全度格付けの最低ランクの航空会社、ネパール航空の飛行機で移動となります。
手書きのチケットがアルバムの中に保存されていました。
そして、そして、目的のトレッキングですが、許可証を取る必要がありました。
そのTREKKING PERMITもしっかりと残っていました。
20歳の私の写真が貼り付けられていましたよ。
その後、カトマンズからナムチェバザールまでの移動ですが、ネパール内の国内線飛行機に乗るのが普通なのですが、貧乏学生旅だったので、バス+歩きで1週間かけて移動することになったのです。
3人旅でしたが、その歩き1日目で1名リタイア。
調子が悪かったようで、1日目に歩いた距離を1人で戻って帰ったのですが、そこで発熱があったようでネパールの宿で何日か病にふす状況であったことを後から聞きました。
そんな状況で、ネパールの家主から病に効く薬を飲めと言われた様で、その際は毒が入っていて殺されて、身ぐるみ剥がされることを覚悟したと言っていました。
日本から遠く離れたネパールの地で死ぬことを覚悟した友人。
もちろん、そんなことはなくその薬の効果もあってか、数日後にカトマンズに戻る事ができた様です。
1人は帰りましたが、残り2人で目的のナムチェバザールへ、
途中大雨に降られることもあった様です。
恐ろしい様な山容の写真もあります。
そんな中、同じようにトレッキングに来ていた大学生は現地ガイドさんを雇っておられました。
そのガイドさんの名前は確か「ミンマ」さん。
なぜか34年経っても覚えています。
同じ大学生の方の名前は記憶なしです。
確か京都大学の人だった様な記憶です。
今はどこかの社長にでもなられているのでしょうか??
1日1日、高度を上げるたびに気温が下がるのは当たり前なのですが、そこまで寒いと思っておらず現地でズボンとセーターを購入した様な気がします。
そして、ナムチェバザールから更にエベレストのベースキャンプ近くまでトレッキングし、下記がおそらくTOP OF MOUNTAINのエベレスト、ネパール語ではチョモランマの姿だと思います。
現地の人がブラックフェースと言われていた姿の写真もありました。
トレッキングの最高到達地点はカラパタールというピークで、その標高は5,545mです。
そのピークに私は2日連続で登りました。
1日目は、京大と思われる方とガイドのミンマさん、白人の方と登りました。
この日は同行の友人は体調不良で宿で寝ていたはずです。
高山病的なことだったのかもしれません。
そして、翌日の山頂での1枚。
おそらく、この当時はニコンの一眼レフと三脚を担いでいたのだと思います。
デジカメが到来する何年も前の1日です。
カラパタールの登頂を終え、エベレストを自身の「まなこ」に焼き付ける事ができ、帰りはナムチェバザールから程近い、ルクラ(LUKLA)からカトマンズまで飛行機移動です。
その飛行機が気象条件が悪く3日くらい飛ばなかったと思います。
LUKLAのお宿で足止めでした。
手書きの内容が分からないチケットで、カトマンズへフライトです。
簡単に墜落しそうなプロペラ機です。
命を預けて、ネパール航空の飛行機は飛び立ちました。
キャプテンの一挙手一投足が見える小さな飛行機。
無事にカトマンズまで届けて頂き、ありがとうございました。
今頃、お礼を言って何になるのか分かりませんが、イエティ航空の墜落事故のニュースを聞いて、ネパールで過ごした日々を思い出してしまいました。
そんなネパールで夏休みを過ごし、8月30日に成田空港からまたまた青春18きっぷで帰るのでした。
学生時代の良き思い出の1つです。
勝手な思い出話をここまで読んで頂き、ありがとうございました!