東南アジア最高峰キナバル山を思い出したのは、、
前回、YAMAPでフォローしている「チームグリン」さんがキナバル山に登頂したことを記事にしました。
https://kansaijin46.com/trip/143_yamapでフォロー中のグリンさんがキナバル山登頂!/
その記事の中で、私「いのとも」もキナバル山に登頂した経験があることを記載しました。
その25年前のキナバル山登頂記録について、アルバムをひっくり返して探してみました。
すると、すると、きちんと5冊のアルバムに整理された写真がありました。
テプラで黄色のラベルが貼られており、第1章から第5章までの構成になっています。
名古屋空港からクアラルンプール経由でコタ・キナバルへ
1994年のことですから、まだ中部国際空港は出来ておらず、小牧空港とも呼ばれた名古屋空港から飛んでいました。
残っていた「Mt.キナバル遠征計画」では、3月30日のフライトとなっていますが、写真の日付では、1994年4月2日となっています。
1994年4月2日、豊橋をワンゲル部のU氏と2人で出発します。
名古屋空港行きの特急バスに乗るところのエビデンスがこちら↓↓
名古屋空港からクアラルンプール、クアラルンプールからコタ・キナバルへのAirは、マレーシア航空でした。
1994年は「Visit Malaysia Year」として、マレーシアが海外からの旅行者を集めるキャンペーンの年だった様で、搭乗したマレーシア航空の機体に、 「Visit Malaysia Year 94」の文字が確認出来ます。
当時は今の様にデジカメもなく、フィルムカメラのため、1枚1枚がそれなりのコストが掛かる中、色々とエビデンスの写真を残している若き日の私「いのとも」を自分で自分を褒めたいと思います。
翌日の4月3日は、恐らくコタ・キナバル市内でゆっくり過ごしたのだと思います。いくつかの食事をしている写真と、海水浴をしている写真が残っていました。
そして、1994年4月4日、キナバル山の登山口までハイエースのバスで移動。
下記写真は、当時のコタ・キナバルで最も背の高いビルだったのではないかと思います。何故かしら写真を撮っています。
そして、確かその晩は、キナバル公園の宿泊施設ですごしたものと思います。
その晩の食事は、しゃぶしゃぶの様に見受けられます。
1994年4月5日早朝、ようやく目的のキナバル山が顔を出しました。ある高さから岩のみの山となっていることが良く分かります。
登山センターで受付完了し、9時半にようやく登山開始です。
各パーティ毎に、1名の山岳ガイドを付けないと登れない仕組みで、ガイド費用が地元に還元されていくという流れでした。
登山途中に食虫植物のウツボカズラを発見。
下記のYouTubeにある様に、カタツムリまで食す様です。
更には、ネズミまでいただいちゃう様です。
恐ろしい限りです。
ジャングル内の登山ルートは結構な直登で、かなりしんどかった記憶があります。
そして、岩肌が見えてきたところに、山小屋があり、ここでまた強制的に泊まらされて、お金を落とさせるマレーシアの政府が考えた?仕組みに乗っかるしかない2人でした。
山小屋で頂ける食事と言えば、インスタントラーメンです。美味しく頂いている姿がありました。
山小屋で仮眠した後、1994年4月6日早朝3時15分、山頂でのご来光を目指し出発です。真っ暗闇なので、ヘッドランプを着用します。
結構早いペースで登ったので、日の出までかなり時間があり、途中の岩の凹みで風で体温が下がるのを防ぎます。ガイドが一番良い場所に陣取っている様にも見えます。
ご来光前の時間には、山頂で沢山の外人さんもいました。誰もがカッパしか持たない状況で寒そうです。
そして、そして、6時13分ご来光です。
山頂での記念写真も1枚。
山頂の看板をバックに登頂記念写真を撮ったと思うのですが、アルバムから抜かれており、所在不明です。登頂記念の写真は、凍えながら待っていたことが顔からにじみ出ています。
日が昇ってからは視界が開け、キナバル山特有の岩肌が見られ、夜中にこんなところを登ってきたのを驚いてしまいます。
3枚の奇岩カット写真をご確認下さい。
キナバル山の登山道マップは、下記URLに紹介されていますので参考にして下さい。
グリンさんのキナバル山登頂の記事をきっかけに、25年前の自分自身のキナバル山登頂記録をまとめることができ、良かったです。
定年後に、再訪出来ればと思っております。