2022年9月25日 13時40分に北穂高を出発!
北穂高岳から奥穂高までの縦走もかなりの崖崩れコースです。
下記の写真でも崩れそうな崖ばかりです。
左奥がこれから目指す、日本で3番目に標高の高い奥穂高岳3,190mです。
ちなみに、南アルプスの間ノ岳も同じ標高で3番となります。
少し左に視点をずらすと、前穂高岳も見えてきます。
穂高連峰は、北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳、西穂高岳からなり、方角の北と西があって、奥の穂高に対して、前の穂高という構成になっています。
さらに、前穂高をピークに構図をとると、眼下には涸沢の小屋が見え、遥か南の方向には日本一のお山が見えるようになります。
北穂高岳から200mのポイントで、涸沢に下るコースと、奥穂高岳までの縦走コースに分かれる分岐となります。
ガレ場が続きます。
落石注意です。
どこまで来ようとも槍くんはすぐに分かります。
ありがたい道しるべです。
その槍ヶ岳にも雲が迫ってきました。
そして、15時20分、涸沢岳のピークです。
穂高山荘に近いため、ザックを山荘にデポして来られる方が多く、標識を譲ってもらえず、記念写真なしに涸沢岳をスルーします。
まったく知らない人の後ろ姿とピークの標識です。
そして、穂高山荘の赤い屋根と前にはラスボスの奥穂高岳です。
さらに近づくとテントを張っている人が沢山いることが分かりました。
標高3000mでのテント泊というのも良いのかもしれません。
15時38分、穂高山荘到着。
スマホの充電が、予備バッテリー含めてもうなくなる寸前に来ているので、30分間、ここで充電させてもらいましたよ。
15時を回っており、山小屋のチェックインの時間となっており、多くの方が列を作って宿泊の受付をされていました。
ここにはコロナはもう存在しないような感じです。
そして、ラスボスの姿 ↓↓
ここから見れば、槍ヶ岳と同じくらいとんがっています。
ここに来ての30分休憩はタイムロスなのですが、バッテリーがないと奥穂高に登った証明がなくなるので、仕方ありません。
ビールでも飲んでゆっくりします。
眼下の涸沢カールにも沢山のテントがあります。
大きな大きな涸沢ヒュッテにも機会があれば行ってみたいですね。
今回コロナ感染の可能性をできる限り抑えるために、山小屋に入らせてもらったのは横尾山荘での買い物くらいで、他の山小屋は全てスルーという感じでした。
ここの穂高山荘ではバッテリー充電のために入りましたが。。。
30分のわずかなバッテリー充電の後、ラスボス退治に出かけます。
急登をあがると、山頂が目の前に。
16時30分、ラスボスを攻略。
朝8時50分の槍ヶ岳山頂から奥穂高岳まで7時間40分の行程でした。
西に傾く太陽の手前にはジャンダルム、奥には恐らく白山と思われる山並みです。
右手前は笠ヶ岳で、雲海状態です。
山頂の展望図は参考になります。
このプレートをプリントしたTシャツなんか売ってもらえればいいのですが。。。
私は、大山(DAISEN)Tシャツを着用していました。
ヒゲものびていました。
山頂からの槍ヶ岳の姿はこちら ↓↓
よく頑張りました。
北穂高岳と槍ヶ岳の並んだ姿の写真はこちら
右には涸沢カールが広がっています。
ここから重太郎新道への下山ルート選択です。
奥穂高岳で一緒になったスロベニア人のYさんと一緒に降りることにしました。
暗くなること必然という状況で、外国の方を1人歩かせる訳にはいかないと、勝手に背負いこんでしまいました。
そのYさんが写る唯一の写真がこちら ↓↓
後ろ姿ですが、中型のメインザックを背負って、この日は槍ヶ岳付近から縦走されてきた様です。
カタコト英語での会話なので、細かいところまで聞くことが出来ないから、本当のところは分かりません。
本当に日が暮れます。
茜色に染まってきました。
こんな夕方になったので、ここから前穂高のピークを踏む元気はなく、スルーとなってしまいました。
3000m峰21座を完登するためには、前穂高に登るために再びこのルートを歩く必要があります。
十分なバッテリー充電ができていないので、あまり写真を撮らないように、電力を使わない様にしていましたが、この下りで2人の方と出会いました。
1人は奥穂高のピークを降りて、30分ほどの位置ですれ違った方ですが、水がないので分けて欲しいとの依頼でした。
北穂高山荘で、500mのアクエリアスを2本買っていたので、250m程度でしたが提供しました。
こちらもこの後、水分が不足し、苦しむことになり、安請け合いはダメだなと感じた次第です。
また、前穂高に登る分岐点では、縦走路の脇にテントを建てている人がいました。我々がカタコト英語で喋っていたので、テントから顔を出して声をかけて来られましたが、もう歩けずという状況になり、半分ビバーク的な宿泊となった様です。
私と言えば、3時に小梨平を出発して、槍沢を登って、槍ヶ岳から大キレット経由の穂高連峰の縦走と30kmを超えるロングトレイルですから、日頃の山登りトレーニングの効果があって、問題なく歩くことが出来ているのです。
だいぶレベルが上がっていると勝手に思っております。
18時50分の岳沢小屋でようやく水を分けていただくことができ、生き返りました。
ここから上高地まで4kmとの標識がありましたが、全く違いますね。
あと1時間だ!と思いきや、ほとんど倍の8kmくらいあるのではないかと思うくらい上高地まで長く感じました。
なんとかかんとか、スロベニアのYさんと上高地まで無事に下山することが出来ました。
小梨平キャンプ場についたのは20時28分でした。
Yさんは外人らしく、シャワーを浴びないと死んでしまうが如くというので、ホテルに飛び込みで宿泊させてもらうということで、1軒1軒、ホテルに駆け込み、空室があるかの確認でした。
あとは大丈夫と、2人が無事に下山できたことを原監督が得意のグータッチをして喜び、分かれるのでした。
ベースのテントで3泊目の宿泊となりました。
翌朝、目を覚ましてスマホを見ると、バッテリーの残りは「2」を表示していました。
それも飛行機モード。
前夜、上高地に到着した段階で、ギリギリのYAMAP軌跡が記録できる状況だった様です。
紙一重のところでした。
お山への遠征ではこのバッテリー問題がとにかく重要であることを改めて思い知ることになり、水、食料、バッテリーのマネージメントをしっかりしていこうと思うのでした。
遠征も最終日となります。
その様子は次回ということで、つづく。